庵野秀明監督作品「シン・仮面ライダー」を鑑賞してきました。
早々に白状してしまうと仮面ライダー自体にはさしたる思い入れもなく、むしろ庵野秀明監督がどんな映画を作ったのか?という興味で観に行きました。
つらつらと書いていきたいと思います!
庵野秀明に興味を持ったきっかけ
こんなブログをやっているくらいだから、ワタシは自他ともに認めるアニメ・ゲーム・プラモデルファンであることは間違いない。
アニメで好きな作品はいくつかあるが、中でも「新世紀エヴァンゲリオン」は特別な作品で四半世紀前にTVアニメで観た初号機の電源コード(アンビリカルケーブル:へその緒)が抜けて内部電源に切り替わったときの衝撃は忘れられない。
それまでTVアニメのロボット(←あえてひとくくりにロボットと言っちゃうけど)の動力源はナゾだった。
ガンダムで原子炉搭載描写があったくらいで、どうやってあんな高出力を維持して戦闘を続けるのか、少しずつ大人になり始めた少年(=ワタシ)には疑問だった。
その疑問にリアリティを持って答えてくれたのがエヴァンゲリオンの電源描写だった。
充電池みたいな電源で動く、しかも僅かな時間しか動けないというリアリティに打ちのめされるようにして、庵野秀明という名前に関心を持つのにそう時間はかからなかった。
仮面ライダーを観るのは初めてだったと上映中に気付く
エヴァンゲリオンはその後も期間を空けながらも続々と新作が公開され、ワタシは劇場に足を運び、その都度少なからず衝撃を受けた。
STAR WARSの新3部作がコケ続ける中、日本の才能が面白い作品を作り続けてくれているのがうれしかった。
まだまだ自分が夢中になれる作品を送り出してくれる庵野秀明に一縷の望みにも似た感謝があった。
シン・ゴジラもイケた!シン・ウルトラマンも大丈夫だった!
なぜか悔しい気持ちもあるのだが、自分が庵野秀明ファンであることを認めなければいけない。
だからシン・ゴジラは少し不安だった。
自分の中では庵野秀明はアニメーションの監督:権化のように感じていたから、それまで実写作品があるのは知っていたが果たして実写でどうなのか?と思っていた。
ちなみにゴジラはどれを観たのかわからないが、過去作品を目にしたことはあって、ご都合主義ではっきり言って何が面白いのか全く分からなかった。
(ハリウッド版GODZILLAは酷評されていたが、映画としては国産ゴジラよりよくできていたと思う。)
不安を胸にシン・ゴジラを観たら、ところどころ実写の寒々しさみたいなものを感じたが、こういうとき自衛隊はこう戦うのかもしれないなと思わせてくれて面白かった。(庵野秀明は総監督)
思わず遡ってゴジラの第一作を観て、再度劇場に足を運んだほどだった。
オマージュシーンなどもたくさんあることがわかり面白かった。
その後のシン・ウルトラマンは監督が樋口真嗣だったが、庵野秀明も脚本他として製作に名を連ねており、もちろん観に行った。
序盤のスピーディーな展開はまさに庵野節で、映画の導入として素晴らしかった。
さて、シン・仮面ライダー
そんな感じで、今回のシン・仮面ライダーである。
劇場公開の場合は、ネットなどでのネタバレが怖くて、公開始めの頃に無理してでも行くのだが、今回のシン・仮面ライダーについては元祖・仮面ライダーもあまり知らないため公開からしばらく経って空いてから行くことにした。
ちなみに、映画鑑賞中にそもそも仮面ライダーをきちんと観るのはコレが初めてだなと気付いたくらい仮面ライダーについては知らない。
大昔に仮面ライダーBlackだったか、弟が見ていたのを一緒に見ていた気がする。
ま、そんな程度だ。
逆に言うと仮面ライダーをほぼ知らない人間が観たらどういう感想になるか?というのが今回の記事の主眼だ。
庵野秀明でなくても撮れた映画
観終わっての感想は、上記のひとこと。
元祖・仮面ライダーを知らないので、比較はできないが、シン・仮面ライダーは他の誰かが撮ってもこういう風になったんではないか?というのがワタシの感想だ。
言い方を変えれば「庵野秀明ならでは」という部分が感じられなかった。
冒頭で触れたとおり、庵野秀明の魅力の大きなものとしてリアリティの追求があると思う。
例えば、「仮面ライダーなんて現実にはいない」というのが本当のリアルで
「仮面ライダーは本当にいるのかもしれない」と思わせるのがリアリティだと思う。
このリアリティの部分で、仮面ライダーを(エヴァンゲリオンやゴジラに置き換えてもいいが)信じ込ませてくれるのが庵野秀明の魅力だと思う。
劇中に登場するキャラクターが交錯する重苦しい人間関係もそれ自体を描きたいというより、リアリティの裏付けのために人間ドラマを据えているように思う。
例えばエヴァンゲリオンは度々のピンチはあるが実質、常勝無敗の物語なわけで、もし明朗快活な主人公とヒロイン、自信満々の司令部であったらそこにリアリティはないと思う。
つまり庵野秀明の魅力は、ヒーロー、ヒロインの物語をいかにリアリティ(ネガティブとポジティブの対比)で表現してくれるかということに尽きる。
今回のシン・仮面ライダーでは、そういった迫ってくるリアリティ、「もしあったらこういうものなのかもしれない」というようなギミックがなかったように思う。
ワタシにはいわゆる特撮ヒーロー物を現代の撮影技術で撮りなおした「焼き直し」以上のものは感じられなかった。
登場人物の動機の希薄さ
優れた映画の第一義として登場人物の動機に違和感がないというのがある。
たとえば、家族を殺されて復讐に燃える主人公とか、クラスの嫌な奴をギャフンと言わせる気弱なボクみたいなことだ。
今回、仮面ライダーが戦っている動機がよくわからなかった。
強制されるでもなく、組織の一員として仕事でやっているわけでもなく、ヒロインに惚れているわけでもなく、なんともぼんやりと命を賭けて戦う。
今の世界の状況を見ると命懸けで戦っている兵士が現実にいて、そこには強烈な動機があるわけで、それに比べるとシン・仮面ライダーはなんともふんわりした戦いに映る。
仮面ライダーに「おまえ、そんなに凄いなら世界の紛争地域に行ってなんとかしてやれよ」と思ってしまった。
アクションの説得力のなさ ライダーキック?そのまんま?
劇中にいわゆる必殺技として「ライダーキック」が出てくる。
これがまた違和感ありありだった。別段ライダーキック自体はいい。
しかしなぜライダーキックを使うのか?みたいなところがなく、洗脳されているはずの2号も同じ技を使う。なにかルーツのある技なのだと思うがその描写がない。
仮面ライダー(バッタオーグ)専用格闘術みたいな設定があってほしかった。
サソリやコウモリ、ハチ、カメレオンとカマキリのハイブリッドタイプなどの改造人間(怪人)が出てくるのだが、それらも外観こそ違えど大差がないアクション。
せいぜいカメレオンが保護色で登場するくらいで(それもありきたりだが)休日にテレビでやっている戦隊モノ以上の感想はない。
シン・仮面ライダーに罪はない しかし…
リバイバルやオマージュというよりは、焼き直しという作品だ。
ここまで作品に力がないとギミックを載せて「底上げ」していくしかない。
例えば作品の時代背景を1970年代にするとか、物語を貫く仕掛けを作っても良かったのかもしれない。
仮面ライダーに漂う悲壮感、不気味さをそういう時代背景を使って粗い粒子の画面などで表現できたかもしれない。全体に画面が非常に鮮明ではっきりとしすぎていた気がする。
そしてなによりも、劇場に足を運ぶたびにワタシを打ちのめしてくれた庵野秀明の才能=リアリティの具現化が見られなかった。
脚本自体が非常に見積もりの甘い計算で作られてしまったのではないかと思う。
庵野秀明は一体どうしてしまったのか?
同人作家というにはすでにあまりにも巨大な名前になっていることは本人もよくわかっているはずなのに。
監督はシン・仮面ライダーのあとは「白紙の状態」とのことなので、お身体も気持ちもしっかり休まれて、また鬼気迫る作品でワタシを打ちのめしてくれると信じて次回作を待ちたい。
コメント
コメント一覧 (2件)
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